「救い主はイエス」 05.05.22
使徒言行録2:14〜42
ペンテコステの日に、預言者ヨエルを通して言われていたことが
実現しました。(ヨエル書3章)
「息子と娘は預言し、僕やはしためも預言をする」と言われていた
ことが起こりました。「預言」とは、神さまから預かった言葉を語ること
であり、神さまの御業を語ることでもあります。
ペトロたちが、聖霊を受けて神さまの御業を語り始めたことは、
まさに預言するようになると言われていたことが実現した出来事でした。
このときペトロが語ったことは、神さまがイエスをこの世に送り、
十字架にかけ、復活させ、救い主となさったということでした。
「神さまはこんなことをしてくださった」と話し始めたのです。
一体どうして、誰のために、神さまはこのようなことをなさったのでしょうか。
ご自分のためになさったのではありません。私たちの救いのためです。
「私たちを救いたいと神さまが願い、そのための事を起こされた!」と、
ペトロは大声で語り始めたのです。ペテロは、「「神は、その独り子を
お与えになったほどに、世を愛された。」(ヨハネ3:16)、「聖霊によって、
神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。…キリストが
わたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに
対する愛を示されました。」(ローマ5:5.9)、
「神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、
御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」(ヨハネ手紙一4:10)
と言われるような、神さまの愛の込められたイエスさまの出来事を大声で
語ります。
聖霊を受け、自分が神さまの愛に包まれていることを知ったからです。
その日、「若者は幻を見、老人は夢を見る」ことも実現しました。
聖霊によって、神さまの深い愛に包まれている自分を知らされますから、
どんな時にも絶望でなく、希望ある幻を見ながら前進して行くことが
できます。
聖霊によって、復活された救い主イエスさまがいてくださることを
知らされますから、死を恐れる悪夢ではなく、死を超えた良い夢を
見られるのです。